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高校3年生になり、次のステップに進む時が来ました。
進学するのか就職するのか?
我が娘の場合、就職する精神力がまだないようで、就労移行支援事業所というところで
就労にむけた訓練をしながら実習を経て就職するという事業所さんにお世話になることにしました。
子供の成長を実感しつつ、就職という最大な難関と立ち向かう時期が近づいてきたことに不安と喜びを感じています。
コロナもまだまだ落ち着いていませんが、少しずつ前へ進んでいってくれたら嬉しいですね。
生きる意味
コロナ自粛が終わり学校が再開しました。
休校する以前から学校生活の不安が大きく、精神科を受診していた娘。
恐怖性不安障害との診断を受け、カウンセリングに通っていました。
二か月の休校が娘にとって良い休息になればと願っていましたが、結果は失敗。
ますます、学校生活がしんどくなってきた様子です。
信頼できる教師に、「生きている意味がわからない。」と言ったそうで、心配になった先生が連絡をくれました。
それを聞いた私は、生きる意味について考えてみました。
「う~ん、私の生きる意味・・・
ないかも。」
でも、死ねない理由はすぐにわかりました。
同じ様なことかもしれないけど、なんか違う。
もしかしたら、娘にとっても分かりやすいかも。と思いました。
今私が生きている理由といえば、もちろん家族の為。
私がいることで、少しでも家族が幸せなら。
ご飯作ったり、話聞いたり。一人で自立できるまでは死ねない。
子供がいることで、私の生きる意味があるのでは?
そんなもんですね。
難しい質問に戸惑いながら、考えさせられました。
まだ娘に話せてないので、タイミングをみて話してみようと思います。
中学校支援学級
小学校6年生の頃、同級生とのコミュニケーションがうまくいかず、孤立するようになってきました。
中学校進級にあたり、子供と話し合ったところ
「中学校は普通学級は嫌だ」
と言われました。
成長とともに、発達の遅れがなんとなと開いているように感じていたので、納得しました。
普通学級に通っていて、中学校から支援学級への変更するには、色々な手続きがあることにびっくり。
6年生の6月頃に支援学級への変更を決め、小学校の先生に相談。
そこで「間に合うかな~。」と言われました。
7月には中学校の支援学級への申し込みがあるというのです。
小学校へ入学した時から、担任の先生には、支援学級への変更も考えていると伝えていたのに、なにも教えてくれず。
なんと不親切な。
そこで慌てて、中学校支援学級の見学と支援学校の見学に行き、療育手帳の申請などをしました。
家族で相談した結果、支援学級への進級を決めました。
ただ現在の支援学級へ進級がとても多いらしく、定員もあるらしい。
教員不足もあるみたいです。
なんとか申請に間に合い、11月頃に決定通知が届きました。
なかなか誰も教えてくれないので大変でした。
現在は、相談支援員が付いているので、何でも教えてくれるので助かってます。
もっと早く付ければ良かったと思いました。
てんかん発作での入院
1歳から6歳まで、毎年数回発作で入院してました。
娘は一度発作が起こると繰り返し発作が起こるタイプのようで、多い日には一日6回ありました。
なので、一度発作が起こると、病院に連絡し、入院セットを持って病院に向かいます。
我が家には他に二人の子供がいるので、病院に連絡した後、旦那に連絡したり祖母に二人の子供のお願いしたり、その他家の片付けなどをして病院に行きます。
毎年の事なので、段々慣れてきて、焦ることもなくなりました。
病院で診察してもらい、「今日はどうする?入院する?」「入院でお願いいたします。」M先生といつものやり取りして入院病棟へ。
顔馴染みの看護師さんばかりで、「あらら、今年も来たかー。」って話したり。
かかりつけの病院のいいところは、臨機応変に対応してくれるとこ。
娘の発作は1分ほどの短い発作なので、ナースコール押して話してる間に発作はおさまるので、ナースコール押したらすぐに来てとお願いしてます。
発作が起きると意識が無くなり呼吸も止まったりするので、すぐに体内の酸素計ったり、呼吸器つけてもらったりしてます。
発作の状態もまちまちなので、出来る限り状態を見てもらえるようにしています。
ナースセンターの近い部屋にしてくれたり、個室にしてくれたり。
娘も顔馴染みの看護師さんなので安心して入院してます。
12月31日に入院してときは、さすがに残念でしたね。
年越しを家族で祝えず。
病院での新年。
今では思い出話ですみますが。
だいたい3~5日で退院。
いつもこんな感じでした。
療育のすすめ
5歳になったころ、保育士から、「少しお友達よりも理解力が遅く、昨日していたことができなかったりするようなので、一度療育の検査行った方が良いのではないか。」
と言われました。
その頃の私は、てんかんについて自分なりに理解もしていたので、娘が脳に問題がある事は解っていました。
今後何かの障害が出る可能性も予測していたので、療育の提案されたときは、何の迷いもなく、むしろ気付いてくれたことに感謝しました。
保育士いわく、療育の提案はとても難しく、不快感をあらわにする保護者もいるそうです。
5歳の頃の発達の遅れは、病的なのか個人差の範囲なのか区別しにくいのはわかります。
療育=病的な発達の遅れ というイメージありますよね。
でも、はっきりとどちらかわからないのなら、療育を受けさせるデメリットはないと思います。あるとすれば、自分のプライド的なものかな。(療育なんてうちの子には関係ないし、少し発達が遅いだけと思いたい。←我が家のパパもどちらかというとこっち派
ですが、なんとか説得しました。)
療育の検査の結果は、IQは少し低めで、出来ることと出来ないことの差か大きいとのこと。
目で見たもの(文字や絵などの理解)はとても良いが、想像しながら考えること(ゲームのルールの言葉での説明や絵カードを順番に並べることなど)は標準値よりは低いとの結果でした。
検査して、苦手なことがはっきりとわかり、どのようにしていけばよいかわかりました。
保育士にも、ゆっくりと説明してもらったり、絵で説明してもらったりと、対応をお願いするこもできるようになりました。
16歳になった現在も、学校での対応に役立っています。
最強の医師との出会い
1歳~3歳頃までは、総合病院に通っていたのですが、待ち時間が長いのと、担当医もいなく、毎回医師が変わり、コミュニケーションも取れず、不安に思うようになりました。
ママ友に相談すると、とても良い小児科医が居るよ、と教えてもらった医師が現在も担当医のM先生。
総合病院での事を相談し、転院のお願いをしたところ、快く引き受けて下さいました。
それから、てんかん発作について詳しく理解することができ、発作が起きても安心できるようになりました。
結構有名な先生らしく、慕って通う患者さんも多いです。
先生が病院を移動するたび、くっついて行ってます。
その度に自立支援医療受給者証の病院の変更の手続きは大変です。
離島に異動された時はさすがについて行けず不安に思っていたら、1か月に一度
地元の病院に診察に来られることになり、受診をしてもらえました。
その時に、「離島にいるけど心配なことがあったら電話しておいで」と、離島の病院の名刺をいただきました。
この時は、本当にありがたい言葉に感謝とこんなお医者さんがいるのだと感動しました。
いつ発作が起きるかわからない不安の中で、いつでも頼れる医師がいるということは、心強いです。
現在の病院は小児科だけど、16歳の娘は通っています。
いつまで通えますか?って聞くと、「ずーっと見るから嫌になるまでおいでー」
と言って頂きました。
生涯で、信頼できる医師に出会えたことは、私にとっても娘にとっても財産です。
先生長生きしてね。
高等支援学校の選択
支援学校ではなく、高等支援学校を選択した理由の1つに、障がい者枠での一般就労がしやすい事。
現場実習が多く、就職先のイメージがしやすい。
どんな仕事内容で、どんな雰囲気なのか、実際に経験しながら選択できるのがとても良い。
一般的に高校生の就活は、企業からの求人票を見て選択する形ですよね。
だから、就職後にこんな仕事内容とは思ってなかったなんて事がよくあります。
でも、高等支援学校の場合は、就職してみたい企業に、実習として経験できる。
企業側も受け入れ可能かどうかの見極めも出来、お互いが可能な場合に就職する形になります。
我が娘も、初回の実習はスーパーマーケットで体験しましたが、次回は、病院での実習を希望しています。
すぐに馴染めない子どもにとって、とてもよい環境で仕事について学べるので、良かったと思っています。